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愚連隊雲に乗る・其の三 |
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江戸の仇を長崎でと浅はかに飛びついた法匪軍団国賊共産党松本善明一派
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皆さま、特に武井君、貴兄のメール返事が遅れました。既に俺は何度も言っているように、日本共産党の票の多くはマルクス・レーニンの票ではありません。大部分は義侠の票です。
拙著の「日本を哭く」にも記したように、戦時中の喧嘩友達であった共産党員植村鶴吉氏の方便を出発点にして、現在があります。貴兄(一般の弱い立場の人々を助けるのが政治であり任侠ではないかと思うのです。)と同感です。
俺が右翼に入って疑問を持ち、(恐る恐るですよ ! ! )先輩・老人に質問したら、「無礼者 ! !」「勉強せい !
!」と一喝されながらも、その共産党員植村鶴吉氏の情景(土地の有力者に苦しめられていた老婆を助けて感謝されている姿)を、ただ一つの目標にしてきたのです。
そんな訳で俺は長い間、共産党は公明党よりもマシ?かと思っていました。だから共産党に所属する松本善明一派から売られた喧嘩でしたが、当初は気乗りもしなかったのです。共産党は悪党ユダの倉林誠治一家に騙されていると、善意にさえ思ったのでした。
しかし訴状(平成18年8月30日)を見て逆上しました。運動を志す者にとっては、右左に関係なく、致命的な「右翼を笠に着て云々」、全くの捏造ということを、俺を助けてくれた庶民や任侠の方に判って貰う為には、大きな事件を起こして、司直の捜査介入を促すことを真剣に考えました。
俺と護國團の勲章は庶民の泪です。俺の上京第一回目の傷害事件は、右翼を笠に着た護國團の幹部の粛清でしたが、わざわざ情状証人に出廷してくれた庶民の「白井さん」は、司直の下にある俺の惨めな姿に泣き出したのでした。俺も貰い泣きしました。証人喚問は泪だけで終わりとなりました。
この度、庶民の皮を被ってはいるが、万人が悪党のユダと認める、中野区南台で正公堂という時計屋を営む倉林誠治一家が、俺が預けた金を横取りしながら、デッチ上げの貸し金返還を要求してきたが、法匪軍団国賊共産党松本善明一派は、少なくとも早い時期に悪党倉林誠治一家の虚偽捏造に気が付きながら、弁護士という法律の専門家がリスクを犯してまで、たかだか1300万ぐらいの金銭問題の捏造に加担して、捏造の上塗りを続けたのか? 俺はどうしても考えが付かなかったのでしたが、ようやく原因に突き当たりました。
それは俺が昭和35年6月のいわゆる60年安保で昭和41年まで長期不在となっていた間の出来事でした。昭和37年頃との事ですが、川崎市の水上署管轄の全自交の委員長刺殺事件があったとのことです。当時犯人は特定されていないにもかかわらずに、共産党の機関紙「赤旗」は独断と偏見で「護國團員が犯人だ」と何度も大きく書きたてたので、当時の護國團の留守責任者前田の運転手として現護國團団長の斎藤庄一は同行し、当時全自交の顧問弁護士であった松本善明(捏造に加担している法匪軍団国賊松本善明一派の松本善明に同じ)と、対決したとの事です。揉めて警察が介入したこともあったとのことです。そして結着がないまま今日に至っていると知りました。昭和41年に出所した俺は忙しかったし、多分過去の出来事に心配かけさせないと思ったか、既に他の誰かが知らせていると皆が思ったか、俺はこの出来事をつい最近、斎藤庄一の口から聞くまでは知らなかったのです。
戦争も闘いも必ず終わる。俺には喧嘩した後、今でも付き合いしている終生の友がいる。卑怯卑劣はしない喧嘩なので、終わった時には勝ち負けの後に友となれるのだ。しかし、今度の卑怯卑劣な法匪軍団国賊共産党松本善明一派との戦いは、多くの真摯な共産党員のためにも、老害・癌の松本善明を筆頭に、尖兵の横山聡を含む二十人近い法匪は許せない
! ! 士(サムライ)の心を知らぬケダモノどもには、必ずこの償いはさせます。
共産党執行部の「臭いものにフタ」の隠蔽体質は、宮本賢治の殺人を隠蔽したことで出世して、現共産党委員長の座まで上り詰めた志位和夫を筆頭として顕著であり、それは文藝春秋九月号の立花隆氏「日共のドン 宮本賢治の闇」に詳しい。是非ご一読下さい。立花隆氏は真の「社会の木鐸の士」です。
平成19年11月3日 老狼
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