ワイフ 12年前は阪神大震災に続いて、地下鉄サリン事件という、未曾有のテロがあり、日本の安全神話は崩れたと言われましたが、その後ますます治安も悪くなっているみたいですが、これから日本はどうしたらいいでしょうか?
ウルフ 治安ばかりではなく、食の安全も住の安全も、雪印・不二家・耐震偽装等々でガタガタだ。一番大きな原因は主人公である庶民が、人様任せで戦後60年ウソで固めたマジック・ショーに酔ってきた結果だ。
ワイフ ウソで固めたマジック・ショーに酔ってきたとはどういうことですか?
ウルフ 例えば「財界」という単語だ。「財界」とは公的資金を産み出す庶民こそが真の「財界」なのだ。アメリカの「民主主義」もそうだ。「民主主義」はそこに住んでいる庶民が決めるものでアメリカに押し付けられるものではない。今イラクは押し付けられた民主主義で内戦状態、日本は武器の内戦ではないが、敗戦で押し付けられた民主主義で、道徳・精神の内戦状態だ。これがアメリカが「民主主義」と呼んでいる内幕だ。マジックは目の錯覚を自覚しながら楽しむものだ。それを現実の政治・経済・政策に求め続けていることを、マジック・ショーと言う。
ワイフ それではそのマジック・ショーから抜け出す方法は何かありますか?
ウルフ ある!本来は主人公なのに今は犠牲者である庶民が自覚する以外にない!!そうすれば安心も平和も掴むことはできるのだ。
ワイフ 庶民が自覚するにはどうすればいいでしょうか?
ウルフ だから俺は問題提起して、少しでも多くの人がマジックから醒めてくれることが、第一歩だと思っている。そのために「日本を哭く(平成7年)」に続いて「暗殺集団(平成10年)」「信念の為に人を殺れるか(平成11年)」と、焼き直しだけれど続けて出したのだ。例えば「ヤクザが悪い」というウソ、「天皇は有難い」というウソを訴えた。
ワイフ それでも10年ほど過ぎていますが、あまりそれらは広がっていないと思いますが、何故でしょう?
ウルフ そうだな。でも十年一昔前の話を今回宮崎学氏が週刊朝日の「ニッポンの『右翼』大研究」という短期集中連載で取り上げている(註・現在発売中の2月2日号は第二回目)。その中(第一回目の1月26日号)で、俺の発言の「アメ天・チビ天」が物議を醸している。
宮崎学氏が推薦文をくれた「暗殺集団」の中で初めて書いたものだ。現在も当時も「不敬罪」は無くなった。しかし俺は天皇を中心とする「神の國」の再現を念頭に置く者だ。自分に不敬があったら許して貰わない。自分も許さない!!自決を含めて責任を取る覚悟で世に問うたのだ。当時我々運動の大先輩、日の丸校長で有名な岡崎功先生(平成18年逝去)、滝沢利量先生(平成14年逝去)、私の愚連隊時代から勇名を馳せていた「大和党(現在の「国乃礎」)」の戸松慶議先生などに叩かれることさえ予想した。それが「白眉の書だ」「驥尾に付す」「共にやろう」「よく書いてくれた」など、予想もしないご賛成をいただいた。大事なことは「復古維新」、「神の国、天皇の国」を願うからこそ天皇のあるべき姿を求める、その姿勢を脱落させて、前後の文脈無しに「アメ天・チビ天」と抜き取ったことだ。
ワイフ 2月2日号にも「昭和天皇の一言を『ご聖断』などと言って、結局、戦争がずるずると続いてしまった」とあるけれど、この「ご聖断」は8月15日のそれではなくて、昭和20年初頭、フィリピン陥落の後、最高戦争指導会議筋から昭和天皇へ「講和へ向けての意見具申」があった。その時に昭和天皇は「もう一度戦果を挙げてからのほうがいいのではないか」と、戦争の帰趨に関わる重大な発言をしている。このことを指す。この註がなければ意味がわかりませんね。
ウルフ これは過去を断罪するものではない。「ヘドロの上にビルは立たぬ」。過去に目を背けることはヘドロを積み重ねていることで、悲惨な犠牲を無駄にすることだ。真に英霊に応えることにはならない。北の果てで通信機とともに花の蕾を散らした九人の乙女の悲劇、南の果てで散ったひめゆり部隊に代表される多くの乙女の涙を忘れるな!!だ。 (続く)
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