| 残暑お見舞い申し上げます。
六十一年前と変わらぬ暑さの中、あの玉音放送を思う。当時の虚脱感と廃墟の中から、我ら戦中派世代は確かに日本の建て直しに必死で生きてきた。しかしその中で経済の建て直しに追われて心の占領を解きほぐすことを置き去りにしたまま、我らの子供の団塊の世代さえが既に定年を迎えて社会の第一線から退く六十一年という歳月を迎えたことは反省しきりである。原爆と敗戦という経験のなかった二つに我らの心はトラウマに囚われていた。心を直視するのが恐くて経済のみに邁進していたともいえる。天皇もその一人だ。
占領軍(実質的には米国)に都合のいい國づくりが民主化だと押し付けられ、自分の頭で考えることなく米国に都合のいい國が民主主義の國だと思い込んでしまったまま、今では米国のポチから張り子の軍用犬だ。
今となっては問題は東京裁判の茶番劇やそれ以前の戦争の敗戦国の扱いとの違いという、自明のことを今更何度並べ立てても、世界各国の理解が得られない以上、日本は何を考えているのか判らない不気味な國と思われて、いつまで経っても世界の國々から共感は得られないということだ。日本の中だけで通用する理屈は無意味ということにそろそろ気が付かなければ、いつまで経っても堂々巡りだ。
坂さん、村下さん、山岡さん、小西さん、武井さん、いつも感謝しています。第三勢力は皆様が家庭を犠牲にしないで庶民として自然に両立できる形を模索しています。圧倒的多数の庶民の目覚めが、点と点を結ぶ線へと、線から面へと広がるように目指していきます。自分の言葉で戦後の裏を。
肥しのウルフ爺さん
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