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思想・宗教元年 其の二十五
〜 一将 功 成ラズ 万骨 枯レントス 〜
世界人類の平和を願い、世界の人々から敬愛される日本再建の為に。皆様第三勢力の人の為に。踏み台となるべく真実を吐いていきます。何卒、私と私を五十年支えきった護國團の実情と五臓六腑を踏みしめて、お役に立てて下さい。
日本の医学界で、患者の為に心身を尽くされている一流の医学博士の方々から、「石井さんは日本の処方箋を書け」と要望されて以来、呻吟してきました。その為に歴史に棹をさします。
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【昭和31年11月21日 東京新聞朝刊】
「護国団」解散と決る
内部対立と資金難で?
右翼の有力団体、護国団(団長佐郷屋嘉昭氏)は十九日新宿区市ヶ谷の本部で理事会を開き同団を解散することに決めた。これは右翼団体がいままでの単純なイデオロギーでは複雑な国際情勢を乗り切ることはできなくなったためとみられ、今後同団の解散は各方面に大きな影響を与えるものと予想されている。
治安当局では日ソ交渉をめぐって、早期妥結を主張する幹部と領土問題で慎重論を取る下部団員との間に深刻な対立がおこったことと資金難の二点を解散の直接原因とみているが、同団小島玄之理事は「戦後の右翼団体はサンフランシスコ条約の結果アメリカの対日政策にほとんど便乗してきた。日ソ復交反対を叫んだり、ソ連代表部に暴れ込んだりしたのはジレンマを示すよい例だ。われわれはそんなことより沖縄、砂川問題などにもっと力を入れるべきだ。今後“完全な独立を獲得した日本”という立場にかえるため発展的解消をした」といっている。
なお護国団は去る二十九年四月、五・一五事件の井上日召氏を団長として結成された。団員は旧五・一五関係者で大半を占められていたが、学生も多数参加。二代目の団長には佐郷屋氏がなった。 |
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【昭和31年11月22日 東京新聞朝刊】
青年隊に実権移る
護国団 “解散”発表に反対し
護国団“解散”問題について二十一日同団関東行動隊、同団山梨支部など全国から集合してきた代表者は団の中核であった護国団青年隊(隊長石井一昌氏)幹部を中心に午後三時から市ヶ谷の本部で対策を協議した結果「護国団青年隊」を「護国青年隊」と改組し、今後同団の一切の運営を行うことを宣言、直ちに全国支部に通達した。これにより従来理事会によって運営されてきた同団の実権は青年隊に移ることになった。
去る十九日の理事会における解散内定は下部にはほとんど知らされておらず、従来から下部と一部幹部との間に対立があったため、実情を知った青年隊が別の行動に出たわけで、今後佐郷屋団長など現幹部はとりあえず青年隊顧問または相談役として残ることになる模様である。
石井護国青年隊長の話
一部幹部が解散を発表するようなことには承服できない。今後われわれは新しく発足した青年隊の力で団を運営して行くつもりだ。 |
そして五十年、命で身体で学んだ裏の実情、実体と共に考えたことなどを、処方箋として具体的に言挙げしていきます。
戦後六十年の闇を切り裂く老狼
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