思想・宗教元年 其の十七
「夢を追うグレン隊 - さめるまで」
原爆忌六十年の今日(八月六日)、原爆テロの犠牲になった方々に哀悼の意を表しながら、謹んで筆を執ります。
高田君、返事遅れました。高田君には俺の拙い文面で勘違いさせたようだが、「士は己れを知る者の為に死す ! ! 」とは、俺が増田先生に知己を得たことにより、この方の為に尽くすことが日本国の再建に通じる ! ! ということを言っているのだよ。即ち増田氏が画策している《日本に対しての「原爆投下」と「東京裁判」の謝罪を、米国に行わせる》ということだが、これまで俺が何度も述べているように、増田氏がその快挙を成し遂げたとしても、今の日本にはその謝罪を受け入れる主体が無いので、その謝罪が宙に浮いてしまう。それでは増田氏はピエロになってしまう。そのようなことにならないように、その主体となる、つまり「真の日本人の集まり ! !」「真の愛国者の結集 ! !」に努力しているのだ。
増田氏はキャッチフレーズが「ソロバン片手に経を読む」であるように、現実に即した、地に足をつけた考え方の人物である。そのような方はアインシュタインの伝聞的なものに執着されているわけではないので、プラス思考で取り入れることはあっても対決はしないよ。
又、君を叱ったのは折角の日本文化の粋の日本語を、慇懃無礼に使ったからだよ。君の気持ちは察しているよ。俺もこの道(右翼・愛国運動)に入る五十年前には、実現不可能と考え口外こそしなかったが、米国が日本に対して行った史上空前絶後(絶後にしたい希望を込めて)、真に完全な「テロ」として使った「原爆」を生み出す元となったアインシュタインに関しては「相対性理論」か何かは知らないが、「悪魔」の同義語としてしか見ていなかった。同胞をむごたらしく殺した手先だと信じていたし、正直なところ、刺し違えてもよいと考えていたのだよ。
昭和三十年に上京した後、種々の事物に触れ、彼が後の人生を反核運動に捧げ、日本に原爆が落とされたことを悲しんで「私は時計の修理屋になればよかった・・・」と語ったとか伝聞してた折、先にアップしたように、、事業的に成功して金にも困っていない野郎が、新しい年の節目に己れの機関紙にアインシュタインのことを引用していたので借用したのだ。
敗戦国の日本の学者と、戦勝国の手先のアインシュタインが、何故文通したか? 以下東京新聞七月五日12版を紹介する。
日本人科学者宛
「原爆投下阻止できなかった」
アインシュタインが手紙
「相対性理論」を発見した故アインシュタイン博士が哲学者の故、篠原正瑛氏にあてた肉筆の手紙が妻・信子さん(東京都中野区在住)の元に保管されている。アインシュタインの理論は原爆開発に使われており、信子さんは「広島・長崎への原爆投下から六十年の今年、この手紙を一般に公開するため、博物館などの寄贈先を探している」と話している。
アインシュタインと篠原氏の文通は千九百五十三年に始まった。篠原氏が原爆開発に果たした科学者の役割を批判する手紙を出したのがきっかけ。
アインシュタインはドイツ語で書かれた返書の中で「私は常に日本への原爆投下を有罪と考えています。しかし、その致命的な決定を阻止するために何も出来ませんでした」と自省の弁をつづっている。(AFP・時事)
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又、俺が何故アインシュタインを引用したかを、君に知って貰いたい。俺は演説もダメ、作文もダメ、己れの能力は熟知している。それでも日本の國や庶民を愛する心は人一倍、それだけなんだ。表題にもしているように、宗教問題にも取り組むこれから、恥多きを恐れることは出来ないのだよ。何しろ神宮(伊勢神宮)に参拝した宗教学者のトインビー博士が「ここに宗教の原点がある ! ! 」と喝破された事実。あくまで伝聞だが――。俺は日本のあるべき姿に夢を追ってきたんだ。今でもそうだ。
高田君、貴君が責任を持てる貴君自身の考えで、俺を真剣に叩いてくれ。君とのやり取りは必ず第三者の参考になるはずだ。
八月三日は、俺の五十年の歩みが実を結び、素晴らしい方々が俺如きを招いて下さいました。
アメーバのような米国を、米国人の為の米国、即ち彼らの本当の國創りを助けるのは、世界の平和日本の再建にも必須なのだ ! ! なるべく多くの、特に君のような人物の助力や参加が必要なのだ。戦後六十年の闇については、真実はすでに述べた米国人の学説のとおり、「原爆」という史上空前のテロでトラウマ(病人)となったままの日本國・日本人、つまり病人相手の六十年のことなのだ。
真に英霊に報いた時にこれらの病は癒えるであろう。
真に英霊に報いるには、これらの病を乗り越えるより他に道は無いのである。
これらの病を癒すのは、真に英霊と向き合い報いた時のみである。
肥やしの老狼
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