思想・宗教元年 其の十
「日本社会の歴史にとどめをさした暴対法」
まずは目森氏よりのメールを紹介します。
| 石井一昌様 以下の文章は、広島問題のHPに掲載したものですが、読んでいただきたく思い、送ります。
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コラム:歴史の終わりと暴対法
2005.5.22up
暴対法以後、警察は国家がヤクザを切り捨てる政策の尖兵となった。
警察はヤクザが社会で占めていた場所から、ヤクザを追い払う形で進出した。
それは、商法改正以後、総会屋を追い払い、代わりに警察官が企業総務に天下り先を確保して行ったやり方とそっくりだった。
警察は、ヤクザの利権を横取りし、とって代わる事を「暴力団取り締まり」と称した。
しかし、これは警察自身にとっても毒となった。
大不況の中で、利権は急激に縮小した。しかし、欲望は拡大する一方だった。こうして裏金体質が拡大した。
また、利権に走った警察は、捜査能力に支障をきたすようになった。
ひとつには、利権で浮き足立ったためであった。そして、もうひとつの捜査力低下の理由は、ヤクザからの情報提供がなくなってしまったためだった。
ヤクザと警察の間には、一定の協力関係が培われて来た。ヤクザと警察の関係は白と黒という単純なものではなく、広い灰色の部分を持つグラデーションをなしている。対立と共存がないまぜとなり、局面ごとに流動しているのである。
警察はヤクザの領域を荒らしている。しかし、ヤクザの果たしてきた役割を果たす事はできない。
ヤクザの利権の元となったのは、ヤクザが果たしていた機能であった。だが、その機能は停止しつつある。
そのヤクザの機能は位置づけが難しい。ヤクザ自身が食う事も含めて、その機能は範囲が広く、また、多くの分野を横断している。しかも、そこに社会的差別、政治的事情、犯罪などが複雑に絡み合っているため、見えにくい方に押しやる力が働いている。
その力はヤクザ内部から働くだけではない。日本社会の事情から出ている力である。
ヤクザの機能を、ここでインヴィジュアル・ワークとしておこう。
ヤクザの持つインヴィジュアル・ワークは、日本社会の成り立ちの一部分であり、不可分のものでもある。
なぜならば、それは、歴史的に形成されて来たものであるからだ。
社会にとって、インヴィジュアル・ワークは有用であり、必要なものである。日本社会が活動するために、インヴィジュアル・ワークは重要な役割を持っているのである。
暴対法は、ヤクザの犯す犯罪を行為として取り締まる法律ではない。ヤクザの存在そのものを社会から排除・抹殺しようとする、異常な法律である。
これは、ヤクザという、インヴィジュアル・ワークを果たし、社会そのものと切っても切れない一部分をなしている社会グループを攻撃するものである。
その機能を代行する者は存在しない。そのため、日本社会におけるインヴィジュアル・ワークが機能停止に追い込まれつつある。
社会の機能の一部が破壊されているのである。社会は有機体である。その一部が破壊される事は、社会全体に大きな影響をおよぼす。
暴対法は、社会そのものを攻撃する劇薬に等しいのである。
国家権力は、このような社会への攻撃を、政策的に、警察力をもって行っている。
つまり、警察を使った社会の歴史性、そして、歴史性が培って来た自由への攻撃が行われているのである。統制である。
警察によるそのような国家統制を別の言葉で言えば、警察国家化である。
権力は、国家統制に向けた社会への攻撃のために、ヤクザというインヴィジュアル・ワーカーを利用したのである。
そのために情報操作も行われた。総会屋、右翼、ヤクザ、麻薬・覚せい剤密売人などが、あえて混同されもした。
暴対法プロセスの下で、警察は利権集団化し、社会はあいまいな領域で機能を停止させ、物事は円滑に進まなくなり、日本社会は、極めて人工的で強引なやり方で、統制の方向に向かう事となった。
暴対法という劇薬で、その一部が死ぬ事で、社会がその歴史性から引きはがされても良しとしているのが国家権力である。しかし、その結果を引き受けるのは権力ではない。
警察は社会を「改革」する尖兵である。すでに、これまでの関係は一方的にうち切られている。ヤクザがどう思っていようと、また、実際にどうであろうと、警察には何の関心もない。警察は、ヤクザを捕食しようとしているだけだ。
ヤクザにとって、現状はあまりにも厳しい。警察・検察はヤクザを冤罪に落とすノウハウを確立している。だが、事ここにいたっても、ヤクザの側は、無実だから無罪になるという希望的願望にしがみついている。
無実かどうかは判決とは関係がない。無実であろうと有罪になるのが日本の裁判だという事は、すでに明らかなのだ。
日本の司法は、この不名誉で、有害な事態をいつまで続けるつもりかわからないが、一刻も早く、ここから脱却しなければ、警察・検察が襟を正す事はないし、襟を正さなければ、不祥事、裏金問題は永遠に続く。
公正な裁判が行われなければ、日本の社会に毒が回って行く事になる。
暴対法によって歴史は終わった。ヤクザの歴史ではない。日本社会の歴史が終わったのである。
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目森一喜
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(目森一喜氏のウェブサイト - http://park1.wakwak.com/~hana/)
目森さん、引用承諾、有難うございました。御見識には感動しました。
5月20日に全国紙で、右翼の全日本愛国者団体会議(略称・全愛会)名誉議長の志賀氏が東京ディズニーランド(TDL)関連会社との金の流れ等で問題視している記事がありましたが、これには裏があるのです。
4〜5年前に、今回以上に「右翼全愛会志賀敏行(三郎)逮捕」と、マスコミに大報道されたことがありました。そして接見禁止で無茶な拘留をした揚句、無罪でした。TDLの設立当初からの株主であり、TDLの今日に功績のある志賀氏は、「暴対法」以降あらゆる分野に天下りをして利権を貪っている警察にとって、TDL関連への大量の天下りに邪魔だったのです。今回はその最後の仕上げだったと私は思っています。
国民の税金から十分な給料を貰い、退職金や年金で老後の生活も税金で保障されていながら、なお欲に走る警察OBは将来のOBとなる現役警察官僚と気脈を通じ、談合会社も足元に及ばない談合体質で頑張っています。
士気の乱れは庶民の要望にすぐ応えられない現場の士気の低下に通じています。皆さんもご存知のように交番まで助けを求めに来たのに見て見ぬ振りをしたり、神戸では110番通報があったのに大学院生を見殺しにしたり、飲み屋などではトラぶってもすぐ警察官が来ることは少なく、たとえ来たとしても通り一遍でその後のトラブル返しの面倒までは見てくれない。やくざはすぐ来てくれて後の対処までしてくれる。そんな訳で長い間歓楽街とやくざは補完しあいながら生きてきたのです。みかじめ料とは多くの場合、やくざをガードマンとして雇うための費用でした。上記の目森氏の原稿にもあるように
| ヤクザの利権の元となったのは、ヤクザが果たしていた機能であった。だが、その機能は停止しつつある。 |
それはやくざが果たしてきた機能であったのです。外国人の犯罪が増えたり、外国マフィアが増えたのも、歓楽街でやくざの押さえが利かなくなり、警察はやくざの代わりにみかじめ料はそっくり懐にしながら、その代替の役は全く務められなかったから、その間隙に入り込まれたのでした。外国人犯罪の増加で警察官を増やすというが、これは本末転倒です。不況で税収入も減っている現在、退職以降も税金を食う警察官を増やさなくても、やくざは税金を食わずにそれなりの押さえをしてくれていたのですから、やくざを活用しない手はないのです。
今こそ眠れる巨人(庶民)が声を結集する時期に来ているのではないでしょうか ! ?
その為の肥やしになりたい老狼です。
追記
なお、5月25日のロフトの模様はテープが届き次第、順次お知らせしますので、今しばらくお待ちください。
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