キチガイの提言・其の五
征伐隊事件について
東京新聞平成16年10月7日の記事に、征伐隊事件の村上被告が発病して、入院したとあった。検察は懲役15年を求刑しているが、裁判は延期になったそうである。これを見て、気の毒に思った。一介の刀剣愛好家であった同氏をここまで追い込んだのは、明らかに真の主権がない不甲斐ない日本に対しての、情けない、なんとかしなければ・・・等々の入り混じった気持ちであったに違いない。刀には魂が宿るという。多分同氏は刀剣を見つめながら、止むに止まれぬ気持ちが湧き上がったのであろう。
北朝鮮は魔法使いでも超能力者でもないのである。日本国内から多くの日本人が神隠しのように拉致されたのには、当然ながらこの日本にそれを手引きする「モノ」があり、それが朝鮮総連であったのは、今では元朝鮮総連幹部の告白等からも特定されている。村上被告たちが行なったことは現在の日本の法律に照らせば犯罪であろう。しかしそれと同じように拉致の手引きも犯罪である。本来ならその拉致の手引きを取り締まらなければならない、警察や検察が、日本国民の血税で生活しながら、不作為を続けてきたのが、この征伐隊事件の遠因である。また政治家がそれに輪をかけて、たまたま現場の真面目な警察官が拉致の真因を突き止めたら、野中が圧力をかけて退職に追いこんだように、今の小泉政権に至るまで、拉致被害者関係者はヘビの生殺しのような歳月を長い間費やされてきたのである。北朝鮮が拉致を認めたら、畳み掛けるように解決されると思っていた他の被害者は、今に至るまで帰国どころか消息すらも覚束ない状況である。これで日本に国家の実があるといえるであろうか?
そもそも日本の警察検察は二重基準、三重基準と、法治国家の体をなしていない有り様である。殺人でも数年の刑があるかと思えば、今回のような銃刀法違反その他で15年の求刑である。それに比べて億単位の政治家の金銭問題や、警察の裏金(その実は公金横領)や書類紛失・書類破棄(その実は証拠隠滅)等の犯罪には非常に甘い。本来税金で養われている「公人」にこそ、義務を強く課すべきであるのに反対なのは、このような日本にした庶民にも責任がある。我々は「明日は我が身」と権力の強権は常に監視していなくてはならない。「共謀罪」などの成立も目論んでいるようであるが、これは絶対に阻止しなければまともな意見の交換さえ出来なくなる。
「拉致」は紛れもない「テロ」である。そのようなテロリストの一味を野放しにしていてはならない。その意味では「テロ」の被害者である「北朝鮮拉致」の救う会にはもう少し開き直った対応をして欲しかった。征伐隊事件の参加者に熊本の救う会関係者がいたらしいが、それが報道されるや否や、その参加者との関係をことさらに否定してみせる。ここに日本人の小心さ、臆病さを見たような気がして情けない。拉致被害者の関係者の中で、「拉致」という犯罪に加担しながら、日本の税金のインフラの中で平然と生活している朝鮮総連関係者を苦々しく思ったことが一度もなかったと言う人はいないであろう。ある意味「征伐隊事件」は、北朝鮮に経済制裁一つも発動できない不甲斐ない政府に代わって、我ら日本国民の多数の意識を代弁したものとも言えるのである。もし朝鮮総連に対して拉致関係で怒りを持っていなければそれは日本人ではない。であればこそ形に表した征伐隊の行動がいささか過激ではあったとしても、北朝鮮拉致に憤りを持っている者の中には、心の中では快哉を叫んでいる者も多い筈である。それが即座にアレルギー反応を起こして「テロ」の単語で切り捨てるのはいかがなものか。
私は日本人のこの同一反応を見て、戦前「大東亜聖戦完遂」「鬼畜米英」と言っていた日本人が、戦後は上だけでなく庶民までもが占領軍の「真相はかうだ(=こうだ)」に簡単に洗脳された民族としての主体性のなさをつくづく感じた。当時、いわゆる東京裁判及び各地の戦犯裁判の後、特に東條家は子供までが村八分の仕打ちに遭い、それは子供を教育する小学校で教育者である教師も率先して行った。東條家ほどひどくはなくても、各地でB級C級で処刑された者の家族は同じような白い目線に耐えなければならなかった。公に占領軍が戦犯関係者の財産処分を禁止していただけでなく、本当に彼ら戦犯とされた方々の家族が辛かったのは、その周囲の庶民の冷たい仕打ちであった。ソ・フィン戦争(ソビエト・フィンランド戦争)を戦って、ソ連に敗れたフィンランドではソ連に対しての対外的には「戦犯」という名称を付けたが、その「戦犯」という名称をつけられた人々をフィンランド人は国内では「英雄」として扱った。(参照http://www1.odn.ne.jp/~aal99510/saiban.htm) それは国難を共に戦った同胞に対する思いやりであり、またフィンランド人としての誇りがなせるものであった。ソ連(帝政ロシア時代も含む)と長い土地続きの国境線を有するフィンランドでは人口も大きく上回るソ連は常に対立と融和をこなしていかなければならない相手であった。それであればこそ、その大国帝政ロシアに東洋の小国の日本が勝った時には、フィンランドでは「トウゴービール」が出来たほど、日本の快挙はフィンランド人を勇気付けたのである。それなのに、その日本は、ソ・フィン戦争とほぼ時期が重なる大東亜戦争に敗れた後は、フィンランド国民とは全く正反対に勝者の意のままに繰られて、国民の多くが昨日まで共に戦った同胞を率先して追いつめる仕打ちに出たのである。
平行してシベリア抑留の軍隊の中でも、ドイツ人は抑留者が一体となってソ連に対抗したが、日本人はソ連の手先になる者が同じ日本人を監視して搾取するという、ここでもまた日本人の敗れた時や状況の悪い時に出る事大主義の卑劣さが出た。そしてそれが先の敗戦や原爆のトラウマを引き摺っている日本が、未だに真の独立国となり得ない大きな一因である。
何事も時には「開き直る」ことは必要なのである。ちまちまと小さくいい子ぶっていては、きれい事だけでは戦いには勝てない。今回の征伐隊事件の場合、救う会は「征伐隊のやり方は賛同できないが気持ちは痛いほどわかる。救う会は拉致という卑劣な国家犯罪を犯す者を激しく憎む。多くの会員や元会員の中には、その中から過激な行動に出る者が今後も出ないとは言い切れない。」とでも言えば良かったのである。小泉などは米国にいい子でいたいから、再び小泉の曰く「テロ」を起こされでもしたらと、もっと真剣に経済制裁を考えもしただろう。先日中山参与が辞めたのには、政府の生ぬるい姿勢も一因らしい。この場合も叱咤するのが女性だけとはなんとも日本の中枢の男は去勢されたものである。
老狼
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